2012年1月6日。子宮頚部明細胞腺がんの告知を受けた。
不妊治療をしていて、心も身体も金銭的にもしんどくて、ちょっと休憩と思っていた矢先だった。
一瞬時間が止まった。驚いている私の顔を見て、主治医は淡々と言った。
「がんですね。手術いつにしますか?」と。
診察前に、虹が出ていた。
「私はがんじゃない。絶対に大丈夫や。」根拠のない自信があった。
しかし、告知を受けた。
「神さん、なんで???」と問いかける日々だった。
告知の日、与えられたみことばは、
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである
1テサロニケ5:16-18
ここでまた、私は神に問うた。
「神さん、がんになって 何で喜んどらなあかんの?何に喜ぶの?私は喜べへん。」
しかし、日々生きている中で私は気づいた。
朝起きて目が覚めるのも、桜の花がきれいだなぁと感じるのも、母の手料理を食べて、「美味しいなぁ~」と思うのも、
言語聴覚士として仕事ができることも、そして、今日も祈りをささげることができるのも当たり前ではないということ。
今まで当たり前であったことが、すべて当たり前ではないことに気づいたとき、
「神さん、ありがとう。」の想いでいっぱいだった。
その後、納得できない術式に対して、国内では5thオピニオンまで求め、病院を駆け巡った。
子宮と卵巣の全摘を勧められていた私は、子どもを授かることをあきらめられなかったことと、
神さんが与えてくれた、それも女性特有の臓器を摘出することが怖かった。
そして、ガンと共に生きることはできへんの?と祈った。
母教会で、アンドレ牧師、サンドラ牧師、バーディン姉、言波さんはじめ、霊的家族が、私の為に癒しの祈りを捧げてくれた。
次に神さんが与えてくれたのは、海外のドクターからのアドバイス。私は、まず北京に飛び立った。ドクターは
「手術をするのもひとつの方法。しかし、術後の抗ガン治療に耐えられない人もいる。自分はどうありたいのかが大切だ。」
と言ってくれた。
シンガポールのがん専門医であるDr.Tanも同じ見解だった。
そして何より彼は、スカイプを通して祈ってくれた。彼の祈りで私は全身も心も癒された。
そして私は決断した。子宮も卵巣も温存して、がんと共に生きること。
そしてもうひとつ、神さんが与えてくれた、がんのおかげで、本来の私を取り戻させてくれたことがある。
それは、DV夫からの解放。
だから、キリストと結ばれる人は誰でも新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
2コリント5:17
今だからわかる。
がんは、神さんが与えてくれたギフト。
告知の日に与えられたみことばが、今となってようやく分かる。
心からAmen!!!と言える。
私はこの経験や体験をみことばを通して、がんがある人も、がんがない人にも伝えていきたい。
いつも、どこにいても、どんな時も神さんは私たちを見守ってくれている。
どんなにつらいことがあっても、「今日もごきげんさん」と言って過ごせる日がくる。
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
エレミヤ29:11-12
この証を読んでくださった方に神さまの大いなる祝福がいつもどんな時もありますように。
ハレルヤ!!!
2016年12月
DIVINE US 日本代表 池田裕美